その一切れが、救いだったのかもしれない
あの頃のお店は、
イタリアンレストランだけど、
カフェのような気軽さもあって、
シフォンケーキを目当てに立ち寄ってくれる人も少なくなかった。
マダムも、今よりずっと若くて。
子育てに追われ、商売のこともよく分からないまま、
いろんな問題に押しつぶされそうになりながら、
とにかく毎日を必死に駆け抜けていた。
「味を届ける」よりも、
「今日をなんとか乗り切る」ことに
精一杯だった、あの頃。
そんなとき、ふらりと現れては
私の焼いたシフォンケーキを心から喜んでくれた、
一人の女性がいた。
あれから、15年。
少し年を重ねた今、
私はようやく思う。
誰かの心を、ちゃんと受けとめたい。
小さなケーキが、
ときに誰かの小さな希望や、
最後の糸になることもあるのだと
彼女が教えてくれた。
今日は、
その思い出を静かに綴ってみたい。
15年も前のこと。ポラリス時代。
黒いサングラスに、黒皮のロングコート。
まるでマトリックスの登場人物のような
雰囲気をまとった彼女は、
私の焼いたシフォンケーキをとても気に入ってくれて、
ときどき思い出したように、
ふらりと現れた。
気まぐれで、少し不思議な人だった。
私には馴染みのない学歴の話をよくした。
「○○大はね…」「大学時代の教授がね…」と、
自分の過去を確かめるように、
どこか寂しげに話していた。
ある日、電話がかかってきた。
「悠華さんのシフォンケーキが食べたいの。
焼いたら、連絡してくれるかしら?」
その声は、やけにやわらかくて、
どこか儚く、
そして、なぜか遠く感じた。
でも私は、
「また気まぐれに来るだろう。ケーキは毎日焼いてるし」
そう思って、連絡はしなかった。
彼女は、それっきり来なかった。
そして後日、
彼女が自ら命を絶ったと知った。
胸の中が、
言葉にならないものでいっぱいになった。
後悔とも哀しみとも違う。
ただただ、重く、静かに沈んだ。
あの一本の電話に応えていたら、
何かが変わったのだろうか。
何度も、胸の中で問いかけた。
誰かの「好きだった味」が、
その人にとって、
どれほどの支えになっていたのか
それは、作る側には見えない。
それから私は、
シフォンケーキを焼くたびに思う。
ケーキは、ただのケーキではない。
ときに、誰かの「生きる理由」や
「救い」になることがあるのだと。
だから私は、今日も焼く。
あの人に届かなかった一切れの代わりに。
そして今、生きている誰かの、
小さな光になればと願って。
今届けたい想い
料理やお菓子は、
ただの「食べもの」であると同時に、
ときに「生きる力」を、
そっと手渡すものなのだと
この年になって、
ようやく気づきました。
だから私は、今こうして思います。
もっと人は、食べることに興味を持ってほしい。
食べものを自分の中に取り入れるという、
この当たり前の営みが、
どれほど尊くすごいことか。
命と命がつながり、心が支えられることに、
もっと情熱を向けてほしいのです。
今の時代、食べすぎてしまう「飽食」と、
体を削るほどに制限し続ける
「過度なダイエット」が、
同時に存在している。
でも私は思います。
食べることを恐れないことも、本当の強さ。
そして、「美味しい」と感動できることが、生きる美しさ。
数字に縛られることでも、
理想の誰かに似せることでもなく――
よく食べ、よく笑い、よく感じる。
そんな体と心からにじみ出る力こそが、
私は、本当の美しさだと思うのです。
だから今日も、お店に立ちます。
あの日の彼女の言葉を胸に、
そして、
まだ見ぬ誰かの“生きたい”を支えるために。
madam悠華
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