眼球に毛先が刺さりそうな人を観察してみた。前髪で隠してるのはたぶん「痛み」

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前髪が眼球に刺さりそうな髪型をしている人を見て
人間模様を観察し、
心理学の角度から深掘りしてみたいと思います。

私は、長く鋭い前髪が、斜め45度の軌道を描いて、
見事に眼球スレスレに舞い降りる人を見るたびに
危ないなって思ってしまう。
瞬きの瞬間に、前髪で網膜が削られる危険性を感じる。

なんでこの人は眼球スレスレに毛先が降りていても
邪魔じゃないのだろうか?
視界が遮られてイライラしないのだろうか?
目が痒くならないのだろうか?

そしてもっと不思議なのはその前髪に触れた時の反応。
「それ、目に刺さりそうですよ」と
ただそれだけの、軽いコメントを言われて
眼球に毛先の当の本人は急に不機嫌になることが多い。

事実が人格否定にすり変わったように。
「見ないで」
「入ってこないで」
そういう深層心理が
視界ギリギリの前髪という形で表れている。

だからこそ、
「前髪刺さってるんじゃない?」と言われると、
自分の鎧を否定されたように感じて、
過剰に反応してしまうと推察する。

 

ある有名なブロガーがオンラインサロンで
前髪を読者に指摘された場面があった。

その反応は、言い方は柔らかだったけれど
早い話、「どんな髪型か私の勝手でしょ?」的で
私のことを私の庭に来て指摘するな。
自分の庭で語れ的な反応だったのが印象的だった。

その方は普段はスパッと物申すスタイルでご活躍されている。
誰かの思考や態度、生き方に対して、
かなり鋭利に人の心にメスを入れるような
表現をされた記事で読者の人気を集めている。

でも、
いざ自分の前髪(物理的に視界を遮るパーツ)について
軽くツッコまれた瞬間に、
「どうしようが勝手でしょ」と
ムッとする反応をした。

ある意味でとても人間らしい。
同時に、自分には甘く、
他人には鋭いという
「内なる矛盾の矛先」が露わになる瞬間をマダムは感じた。

でもその実態は、自己防衛。

つまりその前髪は、
他人から自分を見せたくないという
無意識のシールドなのだろう。

 

人は誰しも、自分を守るための「武装」している。
ある人は肩書きで。
ある人は沈黙や笑顔で。
ある人は前髪で。
そう、目の前ギリギリまで降ろされた毛先。
まるで、世界を遮断する薄いカーテンのように。

マダム思う。

本当に強くて自由でしなやかな人は、
「それ、刺さってるよ(笑)」と言われたときに、
「え、マジで?やばーい(笑)」と
笑える人じゃないかなぁって。

そこに怒りや拒絶が生まれる人は、
まだその毛先に、
自分自身の痛みがくっついている
証なのかもしれないって。

私たちは皆、誰かに見られて傷つき、
誰かに無視されて傷つき、
そして、
気づかぬうちに、
自分で自分を傷つけてきたのかもしれません。

その傷を隠すために伸ばした前髪。
だからマダムは言いたいのです。
「その毛先、あなたの心を守っているのね。
いつかその前髪、少し整えてみませんか?
自分の顔を、世界に向けてさらしてみませんか。
前髪の奥にしまった、
本当のあなたはとっても素敵なんだから。」

 

とね。

 

 

晒せることこそが「凛とした在り方」なのかもしれないのだから。
マダムも「お腹ぽっこりしてるね」って言われたら
「ウッセー!」と言わずに
しなやかに笑いたい。

美味しいもの食べて
美味しいワインを飲んだりした
歴とした代償。
ぽっこりお腹を隠さないで
誇りを持ってさらし
凛として知床の街を歩いていきたい。

そんなふうに
眼球に毛先が刺さりそうな人を見て思った
知床の初夏でした。

今夜は、初夏の夜風に前髪をなびかせながら。
どうぞあなたらしい夜を。

 

マダム悠華より
愛を込めて

 

 

 

 

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