人が嫌いと言える人の静かな強さ

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プランターに植えたセージの花

こんにちは。マダム悠華です。

先日、とある同業者の方とお話していたときのこと。
その方が、はっきりとこう言いました。

「私、人が嫌いなんです」

その言葉に、私は少し驚きながらも、
どこかほっとしたのです。
なぜならその一言には、
表面的な優しさではなく、
静かで確かな誠実さがにじんでいたから。

今日は、
誰かの「人が嫌い」という言葉を、
そのまま否定せずに受け取ってみて、
思い出したこと、
そして今まで出会ってきた
「人が嫌い」と公言する人たちの姿について
少しだけ綴ってみたいと思います。

「人が好きです」
そう言っとけば、
たしかに綺麗にまとまるし、
波風は立たない。

でも私は、
「人が嫌いなんです」と言える人のほうが、
もっと深いところで
信頼できることがあると確信している。

だってその言葉は、
嫌いな自分をちゃんと見つめていて、
嫌いであることを
認めた人にしか言えない言葉だから。

「人が好き」と言うのは、
誰にでも簡単に言えてしまう。
けれど、「嫌い」を口にするのは、
少しだけ勇気がいる。

それは、誰かを否定するように聞こえるかもしれないし、
自分が悪い人に見られるかもしれない。
「優しくない」と思われてしまうかもしれない。
色んなネガティブな要素を受ける。

それでもあえて、
「私、人が嫌いです」と言える人は、
その不器用さの中に、
自分の誠実さを守っている気がする。

人が嫌いだと言う人は、
おそらく誰よりも
人に傷つけられてきた人だと
マダムは感じている。

 

裏切られたことがある。
踏みにじられた経験がある。
そのうえで、
それでも「人」というものに向き合おうとしている。

だからこそ、
「好き」とは言えない日があっても、
「嫌い」と言えるその人の言葉には、真実味がある。

 

嘘をつかない、無理をしない、
そんな誠実さがにじみ出るから、
私は「人が嫌い」って言える人が
好きだ。

 

「好きです」って言いながら、
誰にも深入りしない人より、
「嫌いなんだよね」って言いながら、
たったひとりの誰かに
全力で向き合う人のほうが、
私はずっと信頼できる。

「嫌い」と向き合ったその先にしか、
本当に「好き」になれる瞬間は来ない。

人間が好き。
だけど、だからこそ、
人間が嫌いな瞬間がある。

 

そんな矛盾を引き受けられる強さは、
とても清らかで、
とてもかっこいいと思う。

 

今日の問いかけ

「人が嫌い」って、
自分に正直に言えたこと、ありますか?
誰かに言うの、怖いですか?

もしも、誰かの「人が嫌い」を聞いたとき、
ほんの少しだけ耳を澄ませてみてください。
その奥にある、小さな傷と静かな誠実さに、
気づけるかもしれないから。

madam悠華

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