終始笑顔の人に接するとなぜか
斜里の今は亡き神田書店のご主人の笑顔を思い出す。
私が斜里に嫁いだころコンビニも無く、
唯一の楽しみのお店が神田書店に本を探しに行く事だった。
神田さんのご主人はすました顔で派手なトークは一切ない、
でもいつも同じトーンで、同じスタンスで接してくれた。
多くを語らないのに、不思議と安心感があった。
私とのやりとりの最後にふっと見せるあの笑顔が
心地よく何故か全ては「It’s OK」という気持ちににさせてくれた。
ご主人の笑顔は、亡くなった今でも色濃く
何故心に残っているんだろうと不思議に思う。
同時に、東京の元都知事・石原慎太郎氏の笑顔もそうだった。
強面で怖い印象なのに、たまに見せる笑顔が妙に印象的で、
あぁ、この人、きっと不器用なんだろうな、と勝手に好感を抱いていた。
どうやら私は、
終始むすっとしているけど最後に一瞬見せる笑顔に弱いらしい。
逆に
最初から最後まで笑顔の人がいる。
「私、人が大好きです」って、
ニコニコ笑顔で言う人には、
なぜだか、モヤモヤしてしまうことがある。
笑顔笑顔笑顔、笑顔づくしで
「人が好き」って言ってるその人を、
思わず試したくなるその瞬間がある。
(性格悪!笑)
肩をポンと叩いて転ばせたら
それでもまだ笑って「私、人が好きです」って言えるのだろうか?
って、そんなこと思っちゃう自分に罪悪感が湧く。
きっと、私は「人が好き」って言葉に、
「裏」があるように感じてしまうのだと思う。
特に、ビジネスの場で通行証のように
それを口にする
企業女子やインフルエンサーと呼ばれるような人たちが、
笑顔で「人が好き」と言いながら近づいてくると、
つい心のどこかで構えてしまう。
本当に好きなのは、人そのものじゃなくて
その人が持つ「お金」や「影響力」、
あるいは「人脈」や「肩書き」なんじゃないかと。
そんなふうに、勘ぐってしまう自分がいる。
「人が好き」と言いながら
笑いながら、
褒めながら
近づいてきて、
裏で平気で手のひらを返した人に
人生で何度か出会うと
本当のやさしさを
見極めたいと思ってしまうのだ。
そして、不器用だけど
ふとした一瞬の照れくさそうな
笑顔の方に本物を感じてしまう。
信じたいのに信じきれない。
笑顔の奥を無意識に透かして見てしまう。
本物の笑顔には、沈黙が似合う。
無理に笑わなくてもいい。
「人が好き」と言わなくても、伝わるものがきっとある。
誰かの笑顔に違和感を覚える日があっても、
それはきっと、心が誠実だから。
疑いの奥にあるのは、
本当は信じたい気持ちがあるから。
私はそう思う。
あなたはどうですか?
ずっと笑顔の人に、
違和感を覚えたこと、ありますか?
それとも、笑顔こそが、
その人の誠実さだと思えますか?
あなたは人が好きという言葉の奥に、
何を見ますか?
次回は『人が嫌い』って言える人の強さについて語ってみたいと思います。
楽しい週末を❤️
madmau悠華
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