
これまでゾンビ臭の仕組みと
心理についてお話ししてきましたが、
最後にして最大の難問にぶつかりました。
それは「どう伝えるか」です。
当初は
「人格ではなく現象を指摘する」
「逃げ道を用意する」といった、
スマートなエスコート術を
お伝えしようと考えていました。
しかし、
書き進めるうちに、
私はパソコンのキーボードの手を止めざるを得なくなりました。
正直に申し上げます。
私なら、家族以外には
「あなた洗濯物の生乾き臭ひどいですよ」と言えません。
もし、私が誰かに
「ゾンビ臭してますよ」と言われたら、
間違いなく深く傷つき
泣いてしまうかもしれません。
言われことの不甲斐なさで
申し訳なさと、
情けなさと、
自分への怒りで、
しばらく立ち直れないでしょう。
そんな痛みを、
たとえ「目に見えない信用を失わないため」という
大義名分があったとしても、
他人に強いる勇気が
私にはありません。
たとえば、
私が交通機動隊の隊員で
密室の覆面パトカーに乗った
数時間の勤務中、
ゾンビ臭の相棒の警察官と
過ごさなければならなかったら……。
臭さによる
頭痛と吐き気に耐えかねて、
配置換えや転職を考えるほど
追い詰められるでしょう。
それほどまでに、この問題は深刻で、
かつ繊細なのです。
さらに残酷な現実は、
自ら匂いに気づけないほど
感覚が麻痺している人に限って、
指摘を「攻撃」と捉えて
逆上しかねないということ。
そこには美学もクソもありません。
では、私たちはどうすればいいのでしょうか。
結論はこうです。
「個人で伝え合うこと」に限界があるなら、
それは社会の共通認識(ルール)にしていくしかない。
日本の夏は、もはや必然的に猛暑です。
汗をかくのは当たり前。
だからこそ、「洗濯物の生乾き臭(ゾンビ臭)」を
個人のエチケット問題として放置せず、
大きな社会問題として誰もが知る「常識」に
アップデートしていく必要があります。
「あの人の伝え方が悪い」ではなく
「みんなで仕組み(お湯洗いもしくはワイドハイタープロ)を知ろう」という
啓蒙の輪を広げること。
誰かを傷つけてまで
正義を振りかざすのではなく、
誰も傷つかずに済む
「知識のバリア」を社会全体で張っていく。
それが、
今回このテーマと格闘した私が見つけた、
不器用で、
でも切実な「伝え方の美学」の終着点です。
ここで視点を大きく変えてみましょう。
もし、この状況に高市総理が
立ち上がったら、
きっとあの凛とした表情で、
少しコミカルに
こう宣言してくれるのではないでしょうか。
「国民の皆様。洗濯物の清潔感とは、
個人のマナーに留まる問題ではありません。
それは対人関係における『無言の安保政策』であり、
日本人の矜持そのものです!
エネルギー価格が高騰し、
一滴の熱源も無駄にできない今、
私たちは闇雲にお湯を沸かすべきではありません。
科学的根拠に基づいた『ワイドハイターPRO』をはじめとする、
強力な除菌・消臭部隊を洗濯槽へ投入してください。
バリアを張った頑固なゾンビ菌に対し、
ピンポイントで制圧。
全世帯の清潔を断固として守り抜く所存です。
化学の力は、裏切りません!」
そんなふうに言ってもらったら
「洗濯物の生乾き臭」
一発で周知されますね。
自分で言えないこと
高市総理に言わせてら申し訳ないですよね。
伝え方の美学、あるいは「国家レベル」の最終処方箋
みなさんはでしたら
どう思いますか?
楽しい週末を〜
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