
5年使ったMacBook Proが天に召され、
新たに迎えたMacBook Air。
静かで冷たくて、
でも妙に落ち着くこの子と過ごす日々の中で、
誰かに伝えるためではなく、
自分のためにMacを開く日々。
「書くことは、自分を整えるための時間」
今日は、そんな私の整える相棒の話を少しだけ書いてみます。
「書くこと」は、私にとって“整える”行為。
誰かに伝えたい思いというよりも、
まずは自分の中にある、
まだ言葉になっていない感情や思考の断片を、
静かに拾い集め
心の散らかりを片づけるような宝物のような時間。
昔は紙に手書きで綴るのが好きだったんですけどね。
お気に入りの紙のノートの感触
お気に入りのペン
書き綴ったノートをめくる音。
すべてが五感とつながっていて、
自分の内面に深く潜っていくような感覚があった。
紙とペンでしか出てこない言葉もあってけれど
あるときから、
画面に向かって自分を客観視するようになったんです。
MacBook Airの冷たいアルミのボディ。
キーを叩く音の静かさ。
速くもなく、派手でもなく、裏切らない。
どこまでもフラットで、
感情に引きずられない、
その淡々とした冷たい空気。
ちょうどいい「距離感」。
自分と向き合うために
MacBook Airはただ静かに寄り添ってくれる。
たとえば、何かにイラッとした日。
モヤモヤした感情が拭えない日。
怒りや悲しみが渦を巻いていても、
Macに向かって文字に起こしはじめると、
その感情の奥にある“ほんとうの理由”に
触れられるようになる。
なぜ私はそこまで引っかかったのか、
どこに自分の未消化な部分があったのか。
書くことで、「反応」ではなく
「理解」へと変わっていく。
それは、ノートに殴り書きする時には
なかなか得られない、
ひと呼吸おいた視点。
MacBook Airは、
まるで信頼できる
心理カウンセラーのようだといつも思う。
決して先回りして口を挟んでこないけれど、
こちらが迷って止まると、黙ってそこにいてくれる。
光の加減で浮かび上がるキーの文字、
余計な装飾のないデスクトップ画面。
余白が多いぶん、心のノイズが静まっていく。
私はこの小さな相棒と一緒に、
日々、言葉を選び、並べ、
そして捨てている。
届くかどうかわからない誰かに、
それでもそっと差し出すように、今日も書いている。
この“整える時間”があるから、
人としての形は崩れても、
まあ、拾って立て直せばいいかって思える。
気がする。(汗)
でも今日はちょっと無理だったので、
ワインで整えて寝ますます。笑
おやすみなさい
madam悠華
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