
行きつけの美容室の椅子で、
美容師さんがふと話されたとある日のお客様との会話。
「年金暮らしになって、不安ばかり。これからが心配で…。」
その言葉の余白に、「もう終盤ですよ」という
見えないラベルが貼られているようで、
聞いていた私まで、不安に引き込まれそうになった。
私は髪をカットとカラーしてもらいながら、
ぽそっと話し始めた。
そう話している方たちは、
サラリーマンとして守られてきた日々があったんだと思う。
安定の代わりに、自由や野心を、
時には置いてきたのかもしれない。
でもそれも、その人が選んだ人生。
それぞれの選択に、それぞれの代償と誇りがある。
それに比べて、私たち「手に職」の人間は・・・
正社員という肩書きもなく、保証もなく、
売り上げの波に揉まれ、評価も不安定で、
遊びたい土日も、長期休暇も手放してきた。
でも、自分の腕と想いで仕事を築いてきた。
だからこそ、これからもやると自分で決められる。
それが、私たちの特権なのだと思う。
けれどね、サラリーマンでも、手に職でも
若い頃、みんな正解のない答え合わせを
必死にやってきたはず。
どこかに、“まだ終わっていない””という確信があったから、
やってこられたのだと思うの。
だから今こそ、
“後半戦”は他人任せにせず、
自分で決める。
誰よりも自由な人生を生きる、
そんな時期じゃないかと思う。
60歳を境に、
「まだ働くの?」と思うか、
「ここからが本番」と思うか。
それは、心のありようで変わる。
もし、定年のないはずの私たちが
「もう歳だから」とシャッターを下ろしてしまったら、
これまでの苦労は誰のためだったの?
……そう思わないですか?
子育ても終わり、
世の中の仕組みがだいたい見えてきて、
ようやく風が自分の味方になる頃に
身体さえ元気であれば、
「これからが青春です」と、胸を張って言える。
私はよくこう言っている。
『私は98歳まで、お客様のグラスにワインを注ぎます。
ワインを注ぎながら死んでゆくの。それが、私の定年。』
若い頃の勢いには戻れなくても、
そのぶん、今は深くて、静かで、強くて、美しい。
それが、これからの「働く」という姿だと信じている。
必要なのは、年齢じゃない。
「もう一度やってみようかな」と思える、
小さな勇気だけ。
そんな話を何気なく美容師さんにしてみたら、
「目から鱗でした」「元気もらえた」と言ってもらえて、
ちょっとだけ誇らしかった。
たとえサラリーマンだったとしても、
いまこそ「やりたい」を叶えるチャンスかもしれない。
年齢なんて、ただの数字。
本当の定年は、心が「もういいや」と諦めたとき。
でも、まだやれる。
人生に、定年なんてない。
だってそれ、誰かが勝手に決めた“区切り”なんだから。
あなたの定年は何歳ですか?
madam悠華
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